
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)って、文化や宗教のイメージが強いけど、実は超ハイレベルな軍人国家でもあったんです。
皇帝自身が前線に出たり、地方の将軍が反乱を起こして皇帝になったりと、軍人たちの存在感はハンパなかったんですよ。
そんなビザンツ帝国出身の著名な将軍・軍人には、
などがいて、帝国の防衛と拡張を支えただけでなく、時に皇帝にも匹敵する存在感を放ったのです。
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まずは、ユスティニアヌス1世の時代に帝国の最大拡張を実現させた伝説の将軍たちです。
東ローマの英雄。北アフリカでヴァンダル王国を滅ぼし、イタリアでは東ゴート王国と戦い、 さらにペルシア戦線でも大活躍。
彼の戦いぶりは、現代でも「最後のローマ将軍」と称されるほど伝説的です。
宦官にして天才戦略家。ベリサリウスの後を受けてイタリア再征服戦争を指揮し、 東ゴート軍をタグリナエの戦い(552年)で打ち破るという大偉業を成し遂げました。
政治的にも有能で、宦官ながら軍事の頂点に立った希少な例です。
この時代は、アラブ・イスラーム勢力との激しい戦いが続いていました。
小アジアとアルメニア方面で活躍した将軍。
アラブ勢力との戦いで数々の要地を奪還し、東方戦線の安定に貢献しました。
現地では信仰と戦術の象徴として尊敬されていたそうです。
将軍としてアレッポを攻略し、後に皇帝にも即位。
軍事的手腕だけでなく、宗教的禁欲主義者としても知られています。
その一方で、国内では貴族層との対立が深まり、暗殺されてしまいました。
ニケフォロス2世の甥であり、後にクーデターで帝位を継承。
東方戦線でさらに領土を拡大し、ブルガリア戦線でも圧倒的勝利をおさめました。
この時期はノルマン人・ペチェネグ人・トルコ系諸族など、あらゆる敵に囲まれていました。
南イタリアでノルマン人と戦った勇将で、異常なほどの体格と猛将ぶりが伝説化しています。
部下の反乱によって失脚しますが、その戦いぶりは長く記憶されました。
ビザンツ中期の軍人で、後に『戦術書(Strategikon)』を書いたことで知られています。
兵站や補給、外交交渉など、実務に強い実践派タイプの将軍です。
軍人から皇帝へ。十字軍との交渉やトルコ勢力との戦いで帝国の中興を果たした名君。
彼の治世から始まる「コムネノス王朝」は、ビザンツ再建の転機となりました。
帝国が弱体化しながらも、戦場で奮闘する将軍たちはまだ存在していました。
政治的には暴君とされることもありますが、軍事面ではセルジューク朝やハンガリーに勝利し、 帝国の一時的安定を築いた人物です。
戦場での強さとカリスマ性は本物でした。
東方の名将でありながら、皇帝バシレイオス2世に反乱を起こし、内戦を引き起こします。
政治的には敗れますが、実力派将軍として恐れられた存在でした。
ビザンツ最後の皇帝・コンスタンティノス11世と同一人物で、 1453年のコンスタンティノープル陥落時、剣を手に城壁で最後まで戦い抜いた軍人皇帝。
その死に様は「皇帝にして戦士」というビザンツ精神の象徴となりました。
このように、ビザンツ帝国では将軍たちが“国の柱”として活躍し、ときに皇帝にさえなりました。
このように、軍人という枠を超えて政治・外交・宗教の中心にも関わる存在だったのが、ビザンツの将軍たちのすごさなのです。