
「ビザンツ帝国の“大帝”って誰?」と聞かれたら、多くの歴史家や愛好家がまず思い浮かべるのが、やっぱり6世紀の皇帝ユスティニアヌス1世(在位527~565年)です。
その呼び名にふさわしく、政治・軍事・法制度・建築・宗教と、あらゆる分野でとてつもないスケールの事業を成し遂げた皇帝でした。
彼の治世は領土の最大拡張、ローマ法の集大成、ハギア・ソフィア大聖堂の建立など、ビザンツの黄金時代を象徴しているのです。
以下で詳しくみていきましょう!
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まずはその基本プロフィールと、“なぜ大帝なのか”を見ていきましょう。
イリュリア(現在のバルカン半島)出身で、農民の家から皇帝にまで上りつめた“叩き上げ”。
伯父のユスティヌス1世の後継として即位しました。
彼の政治理念は一言で言えば「ローマ帝国の再統一」。
「帝国の正統な後継者として、かつてのローマの領土と秩序を取り戻す!」という情熱に燃えていました。
その理由は、ユスティニアヌス1世が残した5つの超ド級の実績にあります。
将軍ベリサリウスとナルセスを派遣し、ヴァンダル王国(北アフリカ)、東ゴート王国(イタリア)、 イベリア半島の一部などを次々と奪還。
一時的にではありますが、地中海の3/4を囲む“大ビザンツ”を実現させたのです。
法学者トリボニアヌスに命じて、古代ローマの法律を集大成を作りました。
この法典は中世ヨーロッパ、そして近代西洋法にも影響を与え、 「現代法の祖」として今も世界中の法学に残るんです。
ハギア・ソフィア大聖堂は、現代のイスタンブールに今なおそびえる世界遺産級の大聖堂です。
わずか5年で完成させ、東方キリスト教建築の象徴として1000年以上にわたり崇敬されました。
キリスト教の教義統一を図るため、異端とされるグループ(アリウス派、モノフィサイト派など)を厳しく弾圧。
「正統信仰の守護者」として皇帝が神の代理人であるという理念(カエサロパピズム)を強化しました。
煩雑化していた官僚機構を整理し、中央集権を強化したことも重要ですね。
また、貧富の差の是正や重税の抑制にも取り組み、法治国家としての基盤を整えました。
これだけすごい皇帝ですが、評価は手放しの絶賛とは限りません。
戦争、建築、法整備…あまりにやることが多すぎて、国家財政は常に火の車。 庶民への重税や強制労働が批判されました。
彼の時代、ペストが大流行し、帝国の人口が激減。 この疫病と相まって、彼の統治も思ったようにはいかなくなった面があります。
このように、ユスティニアヌス1世はビザンツ帝国の“大帝”と呼ばれるにふさわしい、スケールの大きな仕事を次々と成し遂げた人物でした。
たしかに問題点もありましたが、それでも彼の治世は「ローマの再興」という壮大な夢が実際に動いた奇跡の時代だったのです。