
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)には、ただの“宗教国家”というイメージじゃとても語りきれない、優れた学者たちがたくさんいたんです。
古代ギリシャの知を受け継ぎ、それをイスラーム世界やルネサンスのヨーロッパへとつなぐ橋渡し役となった彼らは、まさに「知の守り人」でした。
ビザンツ帝国出身の代表的な学者には、
などがいて、神学・哲学・文法・歴史の分野で中世と近代をつなぐ知的遺産を残したのです。
|
|
まずは、ビザンツ帝国の“心臓部”とも言える神学の世界で活躍した知識人たちを見ていきましょう。
ビザンツの総主教にして、博覧強記の知の巨人。
著作『ビブリオテーケー(書誌集)』では、失われた古代ギリシャ文献についての記録を多数残しました。また、ブルガリアへの宣教師派遣など、東方キリスト教の拡大にも貢献しています。
ビザンツ末期の神学者で、東西教会合同に反対し、オスマン帝国下の初代総主教にもなった人物。ラテン教会との神学論争で正教の立場を貫き、「ビザンツの良心」とも称されました。
ビザンツでは古代ギリシャ哲学が息づいており、アリストテレスやプラトンの伝統が受け継がれていきました。
ビザンツにおけるアリストテレス哲学の復興者。 論理学と自然哲学に精通し、西欧スコラ哲学の先駆けともいえる存在です。 ただし一部の教義とぶつかり異端視された面もありました。
文人にして哲学者、宮廷の官僚でもあった多才な知識人。著作『年代記』ではビザンツ皇帝たちの政治と人間像を詳細に記録し、歴史学の先駆けともなりました。新プラトン主義的な哲学を好み、政治にも思想にも大きな影響を与えています。
ビザンツ末期の哲学者で、プラトン哲学を重視し、1450年代にはイタリアに渡ってルネサンス思想の火付け役になった人物。 彼の影響で「プラトン・アカデミー」がフィレンツェに設立されます。
教育制度と古典文化の継承も、ビザンツの学者たちが担ってきた大切な領域です。
ギリシャ語の文法をラテン世界に紹介した語学教育の先駆者。イタリア・フランス各地でギリシャ語を教え、ルネサンスのギリシャ語復興を支えた立役者です。
ギリシャ語の文法書や修辞学を著し、ビザンツ教育の枠組みを整備した文法学者。「古典ギリシャ語を正確に使う」ことに情熱を注いだ人物でした。
帝国滅亡の危機のなかで西方へ知のバトンを託した、“ビザンツ最後の学者たち”です。
元ビザンツの高位聖職者で、後にイタリアに亡命し、ラテン教会の枢機卿となった人物。 ギリシャ語文献を多数収集・保存し、ルネサンス期の学問基盤づくりに貢献しました。ヴァチカン図書館の成立にも大きな影響を与えています。
多くの若きビザンツ知識人がイタリアへ逃れ、 東方から来た“ギリシャの知”が、イタリアの古典復興の熱に火をつけたわけです。
こうして見てみると、ビザンツ帝国は政治や宗教だけでなく、知識・学問・教育の灯を決して絶やさなかった国だったんですね。
このように、彼らの知はイスラーム世界や西欧ルネサンスへとつながり、世界史に静かに、でも確かに貢献していたのです。