
ビザンツ帝国とブルガリアの関係は、「隣国同士の仲良しバトル」みたいなもので、戦っては和解し、また戦って、時に文化を共有する、そんな緊張と交流が絶えない関係性でした。
この記事では、両国がどのように対立しながらも影響し合い、互いの歴史を動かしていったのかを追っていきますね!
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まずは、そもそもブルガリアってどこから出てきたの?というところから。
7世紀後半、黒海北部から南下してきたブルガール人(トルコ系)と、そこに住んでいたスラブ系の人々が合体して生まれたのが第一次ブルガリア帝国。
この新しい国家が、ビザンツ帝国の北側、ドナウ川以南にガチッと根を張ったんです。
当然、ビザンツ帝国から見たら、すぐそこの場所に突然できた軍事国家。そりゃもう落ち着いてられませんよね。
8〜9世紀はとくに国境紛争のオンパレード。どっちが優位に立つかをめぐって、延々と戦いが続いたんです。
ただし、ぶつかり合うばかりじゃなかったのが、この両国の面白いところです。
ビザンツ帝国は、政治だけじゃなく文化の発信地でもありました。
ブルガリアには、そこからギリシャ語、建築様式、宗教儀式などが入り込み、宮廷文化としてしっかり吸収されていったんですね。
9世紀末、ブルガリア皇帝ボリス1世がキリスト教に改宗すると、ビザンツとの関係が一気に変化。
形式的にはビザンツの宗教的影響下に入ったものの、やがてブルガリア独自の正教会(ブルガリア総主教座)を立ち上げ、自分たちの宗教的アイデンティティも築いていくんです。
一度はビザンツに征服されるブルガリア。でも、そこでは終わらないんです。
1018年、バシレイオス2世(“ブルガリア殺し”と呼ばれた名将)によって、第一次ブルガリア帝国はビザンツに吸収されます。
でも支配はなかなか安定せず、各地で反乱や不満がくすぶり続けたんです。
1185年、第二次ブルガリア帝国が誕生すると、ビザンツとブルガリアはまたしても“ご近所バトル”を再開。
特に13世紀には、お互いに皇帝を名乗り合うなど“どっちが本家か”論争のような激しい争いも起きました。
ビザンツとブルガリアの関係は、まるで兄と弟がケンカしつつもどこか通じ合っているような、ちょっと不思議なものだったんです。
戦争も多かったけれど、宗教・文字・文化では深くつながっていて、お互いに大きな影響を与え合ってきました。
このように、ビザンツ帝国とブルガリアは“敵か味方か分からない距離感”で、歴史をともに歩んでいったんですね。