ビザンツ帝国の税制ってどうなってたの?

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の税制って、実はめちゃくちゃしっかりしてたんです。
千年も続いた帝国だけあって、ただ取り立てるだけじゃなく、構造化された仕組みがちゃんとありました。
結論からいえば、東ローマ帝国の税制は、「土地と農民を基盤にした課税制度」「中央と地方が連携する徴税機構」「現金での納税を原則とした経済システム」によって安定的に機能していたのです。
それじゃあ、その中身をもっと詳しく見ていきましょう!

 

 

基本は「土地」にかかる税

ビザンツの税制の根っこにあるのは、やっぱり土地。農地に税がかかるのが大前提でした。

 

カポニコン(頭税)

これは農民1人あたりに課せられる税で、農地を持つ農民や家族単位で計算されました。
いわば「人にかかる税金」ですが、土地を所有してるかどうかが基準になることが多かったんです。

 

シンノネ(地租)

土地そのものにかかる税で、広さ・質・収穫量などをもとに税額が決められます。
つまり、畑やブドウ園、小麦畑、オリーブ畑などによって税率が変わる仕組みでした。

 

現金納税が原則だった

中世なのに物納じゃないの?と思った人、ビザンツはここが違うんです。

 

貨幣経済に支えられた納税体制

税金は基本的に貨幣で納めるのがルール。だから市民も現金を稼ぐ必要があって、市場経済が活発になったんですね。
特に軍や官僚の給料が金で支払われる以上、国家としても現金が必要だったわけです。

 

徴税官がしっかり管理

地方にはログオテーテス(財務官)などの徴税担当官がいて、住民台帳や収穫量記録をもとに、誰がどれだけ払うべきかをチェックしていました。
ときどき腐敗もあったけど、帝国は監査制度を設けて、不正の抑止に努めていたんですよ。

 

地方制度と結びついた徴税

徴税制度は地方行政(テマ制)とも深くつながっていました。

 

テマ制と農民兵

7世紀以降、テマ制が導入されると、農民に土地を与える代わりに兵役義務+納税義務をセットにする制度が発達。
この制度によって、国家は兵士も税収も確保できるという、効率的な仕組みを作ったんです。

 

地主と徴税の関係

大土地所有者(ダイモネス)は、領地内の小作農から間接的に税を取りまとめる役割を持つこともありました。
ただし、これが進みすぎると中央のコントロールが効かなくなり、時代によっては税逃れや徴税の私物化が大きな問題に。

 

軍事財政との連動

税制は単なる収入じゃなく、国家の防衛体制そのものと直結していたんです。

 

兵士の俸給と物資調達

税収の多くは兵士の給料・装備・食料に充てられました。徴税が滞ると軍が動かせなくなるので、 政府は徴税ルートの維持に命がけだったわけですね。

 

戦費が増えると増税へ

戦争が長引くと、農民への課税が増加。この負担が重くなると農村の荒廃や逃亡が増えてしまい、 のちの時代の経済・軍事の悪循環にもつながっていきました。

 

東ローマ帝国の税制って、実はかなり理にかなってて、中央集権国家としての完成度が高かったんですね。
このように、土地・貨幣・軍事・地方行政ががっちり連動した徴税システムが、帝国の長寿を支える大きな柱だったのです。