
古代ローマの正統な後継者として1000年以上も君臨した東ローマ帝国(ビザンツ帝国)。でもそんな帝国にも、やがて終わりの時がやってきます。
その長い歴史のなかで、じわじわと進んでいた衰退の足音。果たして、何がこの巨大帝国を崩していったのでしょうか?
結論から言えば、主な衰退の原因は「軍事力の低下」「経済基盤の弱体化」「内外の分裂と対立」でした。ここでは、それぞれの要因についてひとつずつ見ていきます。
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どのようにして軍の力が落ち、外敵への対応が難しくなっていったのかを見てみましょう。
帝国後期になると、自前の兵士を育てるのではなく、金で雇う傭兵に頼るようになりました。
でも当然、傭兵って忠誠心が低くて、金がなければすぐ逃げる。頼りにできる戦力とは言えなかったんですね。
かつては有力だった地方の防衛組織「テマ制」も、次第に機能しなくなっていきました。
地方の軍人農民が減り、中央集権の力に頼る体制に変わっていったことで、防衛の柔軟性が失われてしまったのです。
戦うための資金がなければ、どんなに立派な軍隊も動けません。では、経済はどう崩れていったのか見て行きましょう。
財政を立て直そうとするたびに課される重税。それが原因で農民は土地を捨て、働き手が減っていきました。
土地からの収入が減ると、ますます税をきつくする…という悪循環に陥ってしまったんです。
かつてはシルクロードの要衝として栄えたビザンツ帝国でしたが、海上貿易の主役がヴェネツィアやジェノヴァといった西ヨーロッパの商人たちに奪われ、富が流出していきました。
帝国内のバランスが崩れ、外からの敵だけじゃなく、中からも崩壊の火種が広がっていったんです。
1054年の「大シスマ(東西教会の分裂)」によって、カトリックと東方正教会は完全に決裂。
西ヨーロッパからの支援は得にくくなり、十字軍との関係もどんどん悪化していきました。
第4回十字軍でまさかのコンスタンティノープル占領。1204年には「ラテン帝国」が建てられてしまい、ビザンツ帝国はいったん滅亡するんです。
復活はするけれど、そこから先はすっかり力を失っていました。
こうして見ていくと、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の衰退って、どれか一つのせいじゃなくて、軍事・経済・政治とあらゆる分野でじわじわと崩れていった結果だったんですね。
このように、千年帝国の終わりは、静かに、でも確実に迫っていたのです。