
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)には、皇帝に匹敵する影響力を持った名門貴族たちがたくさんいました。
彼らは軍司令官として国防を担い、政略結婚で皇室と結びつき、時には自ら皇帝の座を狙うほどの力を持っていたんです。
結論からいえば、ビザンツ帝国の代表的な名門貴族には、「コムネノス家」「ドゥーカス家」「アンゲロス家」「パレオロゴス家」「ファカス家」「アシデナス家」などがあり、いずれも軍事・政治・外交の中枢で大きな役割を果たしていたのです。
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まずは「剣で名をあげた」一族たちから見ていきましょう。
10世紀を代表する軍事貴族。将軍ニケフォロス2世ファカスはついに皇帝(在位963–969)にまで上りつめます。 この一族はアナトリア(小アジア)に広大な領地を持ち、東方国境の防衛でも大活躍しました。
ファカス家と並ぶ軍事名門。 ときに反乱を起こしながらも、バシレイオス2世時代にはバルカン方面で活躍。 後にコムネノス家とつながりを持つなど、王朝政治とも深く関わっていきます。
アルメニア人の名将たちはビザンツ帝国の軍事に欠かせない存在で、 クルクアス家出身のヨハネス・クルクアス(10世紀)は帝国東部を守る大英雄として知られています。
つづいては、ただの貴族じゃない、「皇帝の家」となった名門たちです。
11〜12世紀の全盛期を築いた中興の祖アレクシオス1世(在位1081–1118)を筆頭に、 マヌエル1世、イサキオス2世などを輩出した名門。 軍事と行政に優れた家系で、十字軍時代の外交巧者としても有名です。
皇帝コンスタンティノス10世(在位1059–1067)を出した有力貴族。 その後もアンゲロス家やコムネノス家と婚姻を重ね、皇室との結びつきを強めました。
12世紀末、イサキオス2世アンゲロスとアレクシオス3世などを出した家。 ただしこの一族の治世は内政混乱が多く、第4回十字軍を招いてしまう元凶ともいわれています。
最も長く皇帝家として君臨した名門中の名門。 1261年、ラテン帝国からコンスタンティノープルを奪還し、帝国最後の王朝を築きました。 コンスタンティノス11世(在位1449–1453)は、ビザンツ最後の皇帝です。
政務や学問、教会において力を発揮した一族も存在しました。
11〜13世紀ごろに活躍した行政貴族。地方統治や宮廷官職に強く、皇帝の側近として帝国運営を支えた家系です。
ビザンツ後期に活躍した学識ある一族で、文官や使節として歴代皇帝に仕えました。一部はパレオロゴス家と血縁関係を持ち、文化政策にも関与しました。
パレオロゴス時代に最重要となった家系。ヨハネス6世カンタクゼノスは一時的に皇帝にもなり(在位1347–1354)、ビザンツ内戦を主導した人物です。 同時に、知識人として自伝を書き残したことでも知られています。
このように、ビザンツ帝国では単なる血筋や地位だけでなく、軍事、行政、外交、文化における実力が名門たちの評価を左右しました。
貴族たちは皇帝に忠誠を誓いながらも、時に王座を狙うほどの権力を持ち、帝国の浮き沈みとともにその運命を大きく変えていったのです。