
「宦官(かんがん)」といえば、中国や中東の宮廷で見られる制度のイメージが強いですが、じつは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)にも存在していたんです。しかも、単なる召使いではなく、宮廷の中枢や軍事の現場にまで深く関わっていたって知ってましたか?
結論からいえば、東ローマ帝国には確かに宦官制度が存在し、「皇帝の側近」「宮廷運営の中核」「軍事や外交の実務者」として重要な役割を果たしていました。ここではビザンツ流の“宦官活用術”、詳しく見ていきましょう。
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そもそもなぜ東ローマ帝国に“去勢された男性”を使う制度が生まれたのか、まずはそこから紐解いてみます。
宦官は性的な脅威にならないとされ、特に皇帝の家族や皇后たちが暮らす後宮に配置することで、宮廷の“純潔性”を守る役割がありました。
この発想は、ペルシアや東方世界から影響を受けてビザンツに取り入れられたものと見られています。
宦官は家族を持てないため、血縁や世襲による派閥を作りにくい存在とされていました。
そのため皇帝にとっては、「信頼できる側近」として育てやすかったんですね。
ただの使用人では終わらないのがビザンツ流。宦官たちはしばしば国家中枢に食い込んでいきます。
宦官が就く役職の中で特に有名なのが「パラキミメノス」という、皇帝の寝室の鍵を預かる役。
これ、実は単なる執事じゃなくて、皇帝の一番近くで耳打ちできるポジション。
つまり、日々の政策に影響を与えられるほどの力を持っていたということなんです。
驚くべきことに、軍の現場でも宦官が活躍していました。代表例はニケフォロス2世フォカスの時代の名将ヨセフ・ブリンガス。
彼は宦官でありながら、軍の最高司令官にまで上り詰め、戦争と政治を同時に動かす実力者でした。
ビザンツ社会において、宦官は軽んじられるどころか、むしろ“信頼される特別な存在”として扱われていました。
去勢されたこと自体が皇帝への絶対的な忠誠の象徴とされ、その分、安心して重職を任せられたんですね。
同時に「欲望にとらわれない中立的な官僚」という見方もされていたようです。
宦官の中には修道院の指導者や高位聖職者となった人物もいました。
東方正教会では、独身・禁欲が重視されることもあり、宦官であることがむしろ“理想の信仰者像”と結びついた一面もあるんです。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に宦官がいたっていうのは、ちょっと意外だけど、実はすごく論理的で戦略的な制度だったんですね。
このように、彼らは皇帝を支える“静かなるエリート”として、帝国の運営に欠かせない存在だったのです。