ビザンツ帝国の最盛期とその背景

古代ローマ帝国の伝統を継承しつつ、独自の文化と制度を築いていった東ローマ帝国(ビザンツ帝国)。その長い歴史の中で、とりわけ「最盛期」と呼ばれるのが6世紀、ユスティニアヌス1世の時代です。この時代、領土は最大に達し、法や宗教、建築に至るまでさまざまな分野で飛躍的な発展を遂げました。
ここでは、そんなビザンツ帝国の絶頂期を形作った要素と、その背後にあった事情をそれぞれ見ていきましょう。

 

 

最盛期を支えた要素

どんな力が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を絶頂期へと押し上げたのか?順に見てみましょう。

 

領土の拡大

ユスティニアヌス1世の治世、将軍ベリサリウスがイタリア、北アフリカ、イベリアの一部を再征服。 帝国は地中海世界に再び大きな存在感を示すようになります。

 

法制度の整備

複雑に入り組んでいた古代ローマの法律をまとめあげ、「ローマ法大全」が完成。 この法典が帝国内の秩序維持に貢献しました。

 

宗教の強化

皇帝が信仰の頂点に立ち、異端を徹底的に排除。 ハギア・ソフィア大聖堂の建設も、この宗教と権威の一体化を象徴するものでした。

 

建築事業の推進

首都コンスタンティノープルを中心に、宮殿、浴場、水道といった公共施設が整備され、都市全体が美しく機能的に変貌しました。

 

最盛期の裏にあった課題

華やかな発展の影で、帝国が抱えていたリスクや問題点にも目を向けてみましょう。

 

経済への負担

戦争と建築にかかる膨大な費用は財政を圧迫。 国民への重税が続き、都市民の生活を苦しめていました。

 

社会の動揺

税負担や特権階級の横暴に市民の怒りが爆発し、ニカの乱が発生。 帝国の土台が揺らぐ大事件となりました。

 

外部との対立

西側ラテン世界との関係は不安定で、将来的な東西教会の分裂にもつながる緊張がこの頃から芽生え始めていました。

 

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の最盛期は、ただの栄光だけじゃなく、内外の大きな負荷を抱えながら成り立っていたんですね。
このように、輝きの裏には常に不安定な足元があったわけです。