
コンスタンティノープルが十字軍に攻め落とされ、東ローマ帝国が瓦解した――そう聞くと、まるでビザンツ帝国がそこで終わったように思えてしまいますよね。
でも、実は違ったんです。
皇族や貴族たちはそれぞれ逃げ延び、あちこちで“ビザンツの後継者”を名乗って新たな国を立ち上げていた んですよ。
この記事では、そんな滅びたようで滅びなかった帝国の「亡命政権」たちの物語を、3つの政権を中心に紹介します。彼らはどこに行き、何を目指し、そして最後にどうなったのか?その波乱の歴史、のぞいてみましょう!
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ビザンツが倒れて、帝都を追われた人々。だけど彼らは、ただでは転びませんでした。
アナトリア半島西部に逃れた皇族たちは、都市ニカイア(現トルコのイズニク)を拠点に、ビザンツ再興を目指しました。
ここで立ち上がったのがニカイア帝国。第4回十字軍がコンスタンティノープルを占拠していた間、この政権が正教会の後継者としての座を維持し続けたんですね。
特にテオドロス1世ラスカリス(在位1204–1222)は、国家機構の立て直しに奮闘し、なんだかんだ安定した統治を築いたわけです。
同じ1204年、黒海東岸にひっそり登場したのがトレビゾンド帝国。
建国したのは、あのコムネノス家の生き残りたち。地理的には辺境だけど、シルクロードの末端でもあり、けっこう豊かな地域だったんですよ。
オスマン帝国に飲み込まれる1461年まで、長く粘り強く生き延びたあたり、しぶとさが光ります。
そしてもう一つの亡命政権が、西側のエピロス地方で誕生したエピロス専制侯国。
こっちも自ら「ビザンツの正統」って主張して、なんなら一時期はテッサロニキを拠点に『帝国』を名乗るほどの勢いでした。
ただ、ニカイアとガチで対立してたので、なかなか一枚岩にはならなかったんですよね。
じゃあ結局、ビザンツの後を継いだのは誰だったの?ここが歴史のクライマックスです。
物語が動いたのは1261年。ニカイア帝国のミカエル8世パレオロゴスが、あのジェノヴァ共和国と手を組み、十字軍政権・ラテン帝国を打倒!
晴れてコンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国が名実ともに“復活”するんです。
つまり、勝者はニカイア帝国ということ。ここで初めて「亡命」が終わった、と言えるわけです。
ニカイアがビザンツに返り咲いたあと、トレビゾンド帝国とエピロス侯国はどうなったかというと…
エピロスは吸収されたり、消えたり、諸侯に割られたりしてフェードアウト。
一方、トレビゾンドは独立状態のままオスマン帝国が来るまで粘ってたという、ある意味すごい生き残りです。
亡命政権っていうと、なんだか儚い響きがあるかもしれませんが、実際は「しぶとく、生き延び、時に牙をむいた帝国の亡霊」だったわけです。
それぞれがビザンツの名を背負い、正統を競い合った末に、一つが勝ち残った。そしてまた一つは辺境で粘り続けた。
このように、滅びても終わらない、それがビザンツ帝国の“しつこさ”だったのです。