
ビザンツ帝国の宗教観から読み解く「黒魔術」の実像は、“正統信仰”を守るという大前提のもとで、あらゆる異端や呪術的行為が「悪しき力」として厳しく排除されつつも、人々の暮らしの中では密かに信じられ、使われていたという、表と裏が共存する独特な構造にあります。
この記事では、「黒魔術」がビザンツの社会や信仰の中でどう位置づけられ、どのように実際に用いられていたのかを掘り下げていきます。
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まずは、ビザンツ帝国が持っていた「正しい信仰」と「異端的なもの」への考え方から見ていきましょう。
ビザンツ帝国では、東方正教会が国教として深く社会に根づいていました。
その一方で、ローマ時代から続く民間信仰や異教的慣習も人々の生活の中に残っていて、「悪霊払い」「呪い返し」「護符」などの行為が普通に行われていたんです。
教会側は、こうした呪術的行為を“黒魔術”=悪魔と結びつく危険なものと見なし、教会法や公会議でたびたび禁止令を出しました。
たとえば「呪いの書」や「魔法の粉」などを持っていた者は異端審問の対象になることもあったんです。
禁止されていても、実際には人々の間で黒魔術的な行為はずっと残っていました。それはなぜ?
「病気を治したい」「あの人の心を引き寄せたい」「敵に災いを返したい」――そんな人間くさい願望が、黒魔術を生きながらえさせました。
実際、ビザンツ時代の遺跡からは呪詛板(デフィクシオ)や魔法の護符などが出土していて、日常の中に“隠れた魔術文化”があったことがわかるんです。
面白いのは、ある種の祈祷文や守り札が教会の典礼や聖人信仰とそっくりな形式を取っていたこと。
つまり、見た目は「正統的な祈り」でも、実際は呪術に近い内容だったというグレーゾーンが広がっていたんですね。
では、こうした黒魔術に対して、制度としてはどんな対応が取られていたのでしょうか?
教会法では、魔術師(マゴス)は異端者や背教者と同等に扱われ、厳しい罰が科されることがありました。
場合によっては破門・追放・財産没収なども。特に「他者に害を及ぼす」魔術に対しては、容赦がなかったようです。
一方で、歴代皇帝たちの中には、占星術師や呪術者を裏で使っていた例も記録に残っています。
つまり、「公的には否定、私的には利用」――そんな二枚舌的対応もビザンツらしさかもしれません。
ビザンツ帝国では、光のように荘厳な正教信仰の裏側に、ひっそりと“人間の願い”が染みついた黒魔術の文化が息づいていました。
完全に排除しきれず、でも表には出せない――だからこそ、信仰と呪いの境界線がとてもあいまいになっていったんですね。
このように、黒魔術という切り口から見ても、ビザンツは“人間くさい矛盾”をいっぱい抱えた帝国だったんです。