
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)といえば、荘厳なモザイク画に描かれた皇帝たちのキラキラした衣装を思い出す人も多いかもしれませんね。でも、実際のところ、どんな人がどんな服を着ていたのか?って、ちょっと気になりますよね。
結論からいえば、ビザンツ帝国の服装は「身分・性別・職業・宗教」によって明確に区別されており、豪華絢爛な宮廷ファッションから、修道士や庶民の質素な衣まで、多層的でシンボリックな意味を持つ衣文化だったのです。ではそのファッションの世界、覗いてみましょう!
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とにかく権威と格式を強調しまくったのが上流階級の服装です。
皇帝の衣服にはポルフュラ(紫)が使われていました。この紫色は、ビザンツでは皇帝だけが許された神聖な色で、一般人が使うのはタブー。
紫のローブに加えて、金糸の刺繍・宝石の装飾・冠(ステファノス)がフル装備でした。
貴族階級もシルク製の長衣(カフトンやダルマティカ)に金銀の織り柄、宗教モチーフの刺繍などをあしらい、とにかく見た目で“位の高さ”を見せるのが常識でした。
袖の広がり具合、裾の長さ、靴の色(赤い靴は皇帝専用!)などでも、ちゃんと格差があったんです。
一方で庶民や労働者は、動きやすさと耐久性重視の装いです。
庶民の男女ともに着ていたのがチュニック(長めの上衣)。ウールや麻の地味な素材が中心で、動きやすさ重視。
外出時にはクロアクス(外套)というマントのようなものを羽織り、天候に対応していました。
庶民の靴は革製のサンダルや簡易な靴が一般的で、皇帝や貴族のような色付きの靴はNG。
赤や紫の靴を履いていたら不敬罪になることもあったとか。
ビザンツの女性たちの装いは、慎みと美しさのバランスが大事でした。
女性は髪を隠すためのスカーフやヴェールを着用し、身体の線を出さないゆったりとしたローブを着るのが一般的でした。
これは宗教的な意味もあって、貞淑と敬虔さを象徴していたんです。
貴族女性になると、真珠のネックレス、金細工のベルト、宝石付きの髪飾りなどで、派手めの装いに。
でもあくまで肌は隠すのがルールで、セクシー路線ではなく気品と信仰を強調していました。
信仰の世界の人々は、やはり独自のドレスコードがありました。
修道士は黒いローブとフードまたはキトンという帽子が基本。
装飾は一切なく、禁欲と清貧を象徴するファッションでした。見た目だけで「あ、この人は神に仕える人なんだな」って分かるんです。
神父や司祭は普段は質素な服でも、儀式になると金糸や刺繍が施された神聖な祭服(フェロンなど)を身にまといます。
この装束も、色や形が聖書の象徴や暦とリンクしていて、とても意味深いものでした。
ビザンツでは“何を着るか”=“何者か”を示すものでした。
上でも触れたように、紫は皇帝だけ、赤い靴は皇帝だけ、金糸は高位聖職者のみなど、服のルールはびっしり。
誰かとすれ違えば、その人の身分・職業・信仰まで服装である程度わかっちゃうくらいだったんですね。
うっかり庶民が“上の人の服”を真似て着てしまうと、処罰や罰金の対象になることも。
だからみんな、服でマウントを取るより、正しい範囲での装いを意識していたようです。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の服装って、ただのファッションじゃなくて、身分、信仰、国家とのつながりを示す“生きたシンボル”だったんですね。
このように、ビザンツ人たちは着るものを通じて、自分の立場や信念を静かに、でもはっきりと表現していたのです。