ビザンツ帝国の国章「双頭の鷲」の意味

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を象徴するあの有名なマーク――そう、「双頭の鷲」
見たことある方も多いと思いますが、あの2つの頭を持つ鷲には、実は深い意味と長い歴史が込められているんです。
結論からいえば、「双頭の鷲」は、ビザンツ帝国において“東と西の世界を同時に支配する皇帝権の象徴”であり、また“地上と天上の秩序”を意味する神権的なシンボルとして、帝国の理念と威信を体現していたんですね。さっそくその意味と背景を掘り下げていきましょう!

 

 

そもそもいつ登場したの?

ローマ帝国の時代からいたのか? と思いきや、実はちょっと後なんです。

 

中世後期のビザンツで普及

双頭の鷲が国章や皇帝の象徴として本格的に使われるようになったのは、13世紀以降、パレオロゴス王朝の時代(1261〜1453年)。
特に皇帝の紋章宮廷の旗、衛兵の装備、さらには教会の装飾にも用いられていました。

 

古代ローマの“鷲”とは別モノ

古代ローマ軍団の象徴だった単頭の鷲(アクィラ)とは別起源で、双頭のバージョンは、むしろ中東・中央アジアの古代神話メソポタミア的な象徴性に近いとも言われています。

 

2つの頭に込められた意味

じゃあ、なぜ“2つの頭”なのか? ここにビザンツらしい発想が詰まってるんです。

 

「東西の支配」の象徴

もっともよく知られている解釈が、「東と西の両世界を見渡す皇帝」という意味。
これはまさに、東西ローマ帝国の継承者であり、“全キリスト教世界の正統支配者”を自任したビザンツ皇帝の思想そのものなんです。

 

「霊的権威と世俗権力」の象徴

もうひとつの解釈では、1つの頭が地上の統治=皇帝権を、もう1つの頭が天上の秩序=信仰と教会を象徴しているとも。
つまりビザンツ皇帝は神の代理人として、政治と宗教を両方支配するという考えを体現していたわけです。

 

なぜ「鷲」なのか?

動物にはそれぞれ象徴的な意味がありますが、ビザンツにとっては特別な存在でした。

 

ローマ帝国の継承を表す

鷲はもともとローマ帝国の軍旗で使われていた、帝国の象徴動物。
ビザンツがローマの正統後継者であることをアピールするには、まさにうってつけだったんです。

 

天空を支配する王者のイメージ

さらに鷲は天に最も近い存在、すなわち神と繋がる王権を象徴。
だからこそ、皇帝の旗や衣服、さらには宮廷の宝物にも双頭の鷲があしらわれるようになっていきます。

 

ビザンツ滅亡後の継承者たち

そしてこのシンボルは、ビザンツが滅んだあとも世界各地で生き続けていくんです。

 

ロシア帝国の採用

モスクワが「第三のローマ」を自称し、ロシア帝国が双頭の鷲を国章に採用。
皇帝(ツァーリ)はビザンツの後継者を自任し、その伝統とシンボルをそっくり受け継いだわけですね。

 

神聖ローマ帝国の採用

神聖ローマ帝国(ドイツ中部)でも、13世紀以降に双頭の鷲が皇帝の紋章として使われました。
こちらもまた、「東西の秩序を統べるローマ皇帝」の理念を引き継ごうとしていたことが見て取れます。

 

「双頭の鷲」は、ただのカッコいいシンボルじゃなくて、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が掲げた“支配の理想像”そのものだったんですね。
このように、帝国の滅亡後もなお生き続けるその図像は、ビザンツの威光と思想が、時代と場所を超えて受け継がれていった証なのです。