
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、「皇帝が絶対のトップ!」というイメージが強いかもしれませんが、その足元を支えたり、ときには揺さぶったりした存在がいました。そう、それが貴族階級なんですね。
そして東ローマ帝国における貴族とは、「高官・軍職への独占的アクセス」「免税や土地所有の優遇」「宮廷での政治的影響力」など、多方面にわたる広範な特権を有していました。では、この貴族たちがどんな特典を持ち、どう帝国を動かしていたのかを具体的に見ていきましょう。
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まずは「ビザンツの貴族ってどんな人たち?」というところから整理してみましょう。
帝国内で巨大な荘園や土地を所有し、地域の実力者として君臨していた層です。
元老院の家系から続く伝統的な貴族や、有力な将軍の家系などがここに入り、皇帝に次ぐ“帝国の顔”でもありました。
9世紀以降、とくにテマ制によって地方の軍事指導者が力を持つようになり、軍功によって貴族化する家も増えていきます。
これにより、地方での武力と富を兼ね備えた“田舎の貴族”が台頭していくんですね。
彼らが特別だったのは、身分そのものに価値があり、それによって「できること」が広がっていたからなんです。
東ローマ帝国では、高級官職や将軍職はほぼ貴族の独占でした。
とくに「ロゴテテス(財務長官)」や「ストラテゴス(軍管区の将軍)」といったポジションは、貴族階級の“指定席”だったんですね。
貴族たちは免税または減税の特権を得ていることが多く、一般の農民たちとはまったく違う扱いを受けていました。
とくに土地からの収益に対しては緩やかな課税が認められていたケースもありました。
貴族は自分の荘園に住む農民たちを管理・徴税する権利を持っていました。
いわば“小さな国主”のような存在で、地域の経済や治安を実質的に仕切っていたわけです。
ビザンツの宮廷社会は、派手なだけじゃなく、貴族同士の駆け引きの場でもありました。
宮廷では官職名や称号によって細かく貴族の“格”が定められていました。
たとえば「プロトスパタリオス」「クーベクラティス」など、聞きなれない肩書きが多いのも特徴です。
この称号は身分の証明でもあり、儀礼や序列をがっちり決めるためのツールでした。
貴族のなかには、皇帝の側近として政務や外交に深く関与する者もいました。
ときには反乱やクーデターを起こすほどの野心家もおり、皇帝にとっては“頼れるけど怖い存在”でもあったんです。
中央集権を掲げる皇帝にとって、貴族の力はまさに“諸刃の剣”でした。
例えばバシレイオス2世(在位:976–1025年)は、大貴族の勢力を抑えるために土地所有を制限する改革を行いました。
このように、貴族の“暴走”を防ぐため、皇帝側もいろいろな制度や法令で調整を図っていたんですね。
貴族は軍や官僚機構を支える人材の宝庫でもあり、皇帝が統治を進めるうえで欠かせない存在でした。
だからこそ、うまく恩賞や称号で“つなぎとめる”必要があったのです。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の貴族は、ただの“金持ち”じゃなくて、軍・政治・経済にまたがる特権階級として、帝国の骨組みに組み込まれていたんですね。
このように、皇帝と貴族の絶妙な駆け引きが、ビザンツの長寿を支える知恵のひとつだったのです。