
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、1204年に第4回十字軍によって首都コンスタンティノープルを占領され、いったん滅亡します。けれど、それで完全に歴史から消えてしまったわけじゃありません。そこから50年以上の歳月を経て、なんと帝国は“復活”を果たすのです。
結論からいえば、復活の背景には、「亡命政権の粘り強い外交」「ラテン帝国の弱体化」「地元勢力の協力」がありました。では、どうやって滅亡からの逆転劇が生まれたのかを順に追ってみましょう。
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ビザンツが滅びた後も、帝国を再建しようとする動きは止まりませんでした。
コンスタンティノープルを追われた皇族たちは、小アジア西部にニカイア帝国を建てます。
この国が事実上の「ビザンツ亡命政権」となり、ビザンツ文化と正統性を守り続けたのです。
ニカイア帝国は、バルカン半島の他勢力や西ヨーロッパ諸国と巧みな外交を展開しながら、少しずつ領土を広げていきました。
軍事的にも粘り強く、ラテン帝国との戦いで徐々に優位に立っていきます。
ビザンツの代わりに建てられたラテン帝国は、長く持ちこたえることができませんでした。
西ヨーロッパから来た十字軍の騎士たちは、バルカンの複雑な地理や文化に適応できず、財政や人材の不足に苦しみます。
貴族間の内紛も絶えず、政権の基盤はガタガタでした。
カトリックの支配者たちは、正教徒のビザンツ人にとっては異端のような存在。
宗教的対立もあって、地元の人々はむしろニカイア帝国に協力するようになっていきます。
50年におよぶ再建努力が、ついに結実する瞬間がやってきました。
ニカイア帝国の将軍ミカエル8世パレオロゴスが、政権の実権を握り、コンスタンティノープル奪還作戦を指導します。
この人物が、復活したビザンツ帝国の初代皇帝となるんです。
ついに1261年、ビザンツ軍がラテン帝国の隙を突いて、コンスタンティノープルを無血開城で奪還。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、パレオロゴス朝のもとで復活を果たしました。
一度滅んだ東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が復活できたのは、失われた都を夢見て動き続けた人々の粘りと、敵の弱さが重なったからなんですね。
このように、帝国の再建は偶然ではなく、準備された“奇跡”だったのです。