
ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国の違いは、「正統性の出どころ」「皇帝のあり方」「宗教との関係性」など、同じ“ローマの後継”を名乗りながらも中身はまるで別モノだったという点にあります。
この記事では、「ローマの名を継いだ二つの帝国」がどれほど違う方向へ進んでいったのか、わかりやすく比較してみましょう!
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ビザンツも神聖ローマも「ローマ帝国の後継者」を自称してたけど、その言い分はかなり違ったんです。
ビザンツ帝国は、もともとローマ帝国の東半分が続いたもの。
つまり「継承」じゃなくて“そのまま続いてる”って意識だったんですね。
皇帝も元老院も制度もローマ由来で、言葉こそギリシャ語になったけど、気分はずっと「本家ローマ」でした。
一方の神聖ローマ帝国は、8世紀にフランク王国のカール大帝が教皇から戴冠されて「新しいローマ皇帝」として名乗り始めたのが始まり。
こちらはあくまで“西ローマ帝国の復活”というかたちで、「キリスト教世界の守護者」としての意味が強かったんです。
同じ「皇帝」でも、その権力の中身はけっこう違いました。
ビザンツでは、皇帝は神から直接権力を授かった存在で、教会の上に立つような位置づけでした。
皇帝自身が宗教儀礼を仕切ることもあって、政治と宗教の融合型だったんです。
神聖ローマ帝国では、皇帝はローマ教皇から戴冠されることで正統性を得る仕組み。
そのため、皇帝と教皇の関係がずっとギクシャクしていて、「どっちが上か」をめぐってしょっちゅう争ってたんですよね(叙任権闘争など)。
国の成り立ちや仕組みも、比べてみると真逆と言っていいほど違ってました。
ビザンツは、ローマ時代の行政制度・法体系を引き継ぎながら、官僚と皇帝中心の中央集権体制を維持。
テマ制など地方制度も発達していて、コンスタンティノープルを中心に“帝国”らしい一枚岩でした。
神聖ローマ帝国は、ドイツを中心とした大小の諸侯・都市国家の集合体。
皇帝は選ばれる存在で、しかも諸侯の力が強く、統一国家というより“名ばかり帝国”という面も大きかったんです。
ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国は、どちらも“ローマの後継者”を名乗ってたけど、その中身は「まるで別の文明」って言っていいくらい違ってたんですね。
一方は神の代理人が君臨する官僚国家、もう一方は教皇との駆け引きに振り回される連邦国家。
このように、同じ“ローマの名を継ぐ者”でも、それぞれがまったく異なる道を歩んでいったのです。