
「皇帝が絶対!」というイメージが強い東ローマ帝国(ビザンツ帝国)ですが、実際の社会はそんな単純じゃありません。帝国の中には、はっきりとした身分制度が存在していて、人々の暮らし方やできること・できないことがきっちり決まっていたんです。
結論からいえば、東ローマ帝国の身分制度は、「自由人と奴隷」の大きな区分を基本に、「貴族」「官僚」「農民」「商人」「聖職者」などの階層があり、それぞれに固有の権利や義務が設定されていました。では、どんなふうにこの仕組みが成り立っていたのか、詳しく見ていきましょう。
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まず押さえておきたいのは、ビザンツ社会の最も基本的な線引きは「自由か・そうでないか」でした。
自由民は、法的に独立した人格を持ち、土地を所有したり、訴訟を起こしたりできる身分です。
この中には貴族から農民、職人まで幅広い階層が含まれていました。
奴隷は“法的には物”とみなされており、主人の所有物として売買・譲渡が可能。
ただし、洗礼を受けたり、解放されたりすることで自由民になれる可能性もありました。
じゃあ「自由民=みんな平等か?」といえば、もちろんそんなことはなくて、ここにもちゃんと“格差”がありました。
土地・称号・血筋を背景に、高官職や将軍職を世襲することができた人々。
宮廷内で特権的地位を持ち、免税などの恩恵も多かったんです。
法学・行政の知識を持つエリート層。高等教育を受け、皇帝に仕える形で帝国の実務を担っていました。
彼らの身分もある程度固定的で、家柄や学歴によって出世が左右されていました。
都市に暮らす自由民の中には、ギルド(同業者組合)に所属して経済活動を行う人々も。
法的には自由でしたが、税負担や法規制が多く、上の階層とは一線が引かれていました。
帝国の大半を占めたのがこの層。農民といっても完全な自由民と、土地に縛られた半自由民がいました。
地主(とくに貴族)の土地で働き、税を納めながら暮らしていたのです。
身分制度の中でも、ちょっと特別な位置を占めていたのが聖職者でした。
司祭・修道士・主教などは、教会法に基づく独自の身分体系を持っていました。
正教会は皇帝と並ぶ精神的権威として位置づけられ、教会の高位聖職者は宮廷内でも重要なポジションにつくことがありました。
教会に属する土地や人々には特別な法的保護が与えられ、貴族にも匹敵する“聖なる特権階級”として尊重されていたんですね。
「一生この身分のまま…」と思いきや、東ローマ帝国はちょっとだけ柔軟なところもありました。
とくに軍人として功績を上げた者や、法学・神学で秀でた人は、市民階層から高官・貴族層へ昇進するケースもありました。
実際、出自が低くても将軍や皇帝にまでなった人もいます。
宮廷の中には宦官や奴隷出身の高官も存在しており、皇帝への忠誠や能力次第では意外と出世の道も開けていたんです。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の身分制度は、一見カチッとしていながらも、宗教・軍事・学問などの分野では“がんばれば上に行ける”道も残されていたんですね。
このように、固定と流動が同居する“ゆるやかな階層社会”が、帝国の長寿を支えていたのです。