
「ビザンツ帝国って今のどこにあったの?」って気になりますよね。 名前はよく聞くけど、地図で見てピンとくる人は案外少ないかもしれません。 でも実は、その“跡地”って、現代の国々にガッツリ重なってるんです。しかも一国どころじゃなく、かなり広範囲にまたがってます。
結論からいえば、ビザンツ帝国の主な領域は、現在の「トルコ」「ギリシャ」「ブルガリア」「シリア」「エジプト」など東地中海沿岸を中心に、バルカン半島・中東・北アフリカの一部を含む15カ国以上の国土にまたがっていたのです。
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まず、ビザンツ帝国の「心臓部」とも言える地域はどこだったのか見てみましょう。
これはもう絶対に外せない場所です。 帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)があったのがまさにここ。 小アジア(アナトリア半島)全域がビザンツの中心で、政治・軍事・経済の拠点となっていました。
ビザンツ文化の“言語と精神”のふるさと。 アテネやテッサロニキをはじめ、ペロポネソス半島にはミストラという“最後のビザンツ都市”もありました。帝国後期には、ギリシャ本土がビザンツのメイン領域となります。
バルカン半島南部も長らくビザンツ領でした。特にブルガリアとは何度も戦争をして、領有権が行ったり来たりしていた重要地域です。
最大版図のときには、ヨーロッパだけでなく中東やアフリカ北部にも勢力を伸ばしていました。
キリスト教発祥の地もビザンツの重要な支配地。特にエルサレムは宗教的な象徴として大切にされていました。ただし7世紀以降はイスラーム勢力との激しい争奪戦が続くことに。
かつてのローマ帝国の“穀倉地帯”でもあったエジプトも、長くビザンツ領でした。アレクサンドリアは学問と宗教の中心地でもありましたが、後にイスラーム勢力に奪われてしまいます。
ユスティニアヌス1世の時代には、ヴァンダル王国を滅ぼして、 北アフリカの広い範囲が一時的にビザンツ帝国の領土になります。
西ローマ帝国の“お下がり”を取り返す動きもありました。
ローマ、ラヴェンナ、ナポリ、シチリア島などはビザンツの直轄領として再征服されました。特に南イタリアではビザンツ風の教会建築や文化が今でも残っています。
現在のアンダルシア地方の一部(カルタゴ・ノヴァなど)は、ユスティニアヌスの遠征によって数十年間ビザンツの支配下に置かれていました。
では、ビザンツ帝国の“領土跡地”にあたる現在の国々をざっと一覧にすると、以下の通りです。
現在の国 | ビザンツ帝国時代の地域名 | 役割・重要性 |
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トルコ | アジア小アジア(アナトリア)、ビテュニア、カッパドキア、キリキア 他 | 帝国の中核地域。首都コンスタンティノープルを擁し、軍事・行政・文化の中心地。 |
ギリシャ | ヘラス、テッサリア、ペロポネソス、マケドニア南部 | 古典文化の継承地であり、正教会と学問の中心。ビザンツ文化の要。 |
ブルガリア | モエシア、トラキア北部 | 幾度も帝国と争ったが、一時期は帝国に組み込まれた。北方防衛の要衝。 |
北マケドニア | マケドニア(西部) | 軍事的要地であり、スラヴ系民族との接点でもあった。 |
アルバニア | エピロス、イリュリア | 西方との境界線。交易と防衛の中継点。 |
セルビア | ダルマチア内陸部 | 中世にはビザンツの属国や敵国となり変動した地域。宗教・文化の交差点。 |
モンテネグロ | ダルマチア南部 | 海上貿易や軍事の中継地。イリュリア的伝統も残る。 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ | ダルマチア西部 | 一時的にビザンツの影響下に置かれた地域。宗教的に多様な地域だった。 |
ルーマニア(南部) | ダキア南部、スキタイ | ビザンツ帝国の北限。蛮族との緩衝地帯。 |
シリア | シリア州、アンティオキア周辺 | 初期キリスト教の重要地。東部国境を守る戦略要地。 |
レバノン | フェニキア地方 | 海上貿易と文化交流の要所。ビザンツ=地中海世界の一部として繁栄。 |
イスラエル/パレスチナ | パレスチナ州 | キリスト教の聖地として極めて重要。巡礼地であり宗教的争点でもあった。 |
エジプト | アエギュプトゥス州 | 穀物供給地として帝国を支えた。キリスト教コプト教会の拠点でもある。 |
リビア | キレナイカ、トリポリタニア | 西部辺境地。交通・軍事的には要所だったが、徐々にイスラム勢力へ。 |
チュニジア | アフリカ属州 | 東ローマによる再征服後、短期間支配。カルタゴが中心都市。 |
アルジェリア東部 | ヌミディア、マウレタニア | ユスティニアヌスの西征で再征服されるが、ビザンツの支配は短命。 |
イタリア南部・シチリア島 | テーマ・イタリア、シチリア | ビザンツの西方再興政策の拠点。重要な軍事・宗教中心地。 |
スペイン南部の一部 | スパニア属州 | 短期間だがユスティニアヌスによって征服。西ゴートに対抗する橋頭保。 |
このように、ビザンツ帝国の領域は、現在のヨーロッパ・中東・北アフリカのじつに広範囲に及んでいたのです。
ビザンツ帝国って、地図の上では一見存在感が薄いけれど、 その“跡地”は今も多くの国々にまたがっていて、文化や宗教、建築、言語などの中にその影響がしっかりと生きているんですね。このように、ビザンツの歴史は、現代の地理の中にもまだまだ刻まれているのです。