
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は、1453年にオスマン帝国に滅ぼされて歴史の幕を閉じましたが――その「末裔」たちは、静かに、そしてたくましく新たな形で生き続けていたんです。
結論からいえば、ビザンツ帝国の末裔とは、「トレビゾンド帝国」「モレアス専制公国」「ギリシャ正教会」「ロシア帝国」など、血統・宗教・政治・文化をそれぞれに受け継いだ国家や組織のことを指し、それぞれがビザンツの“記憶”を継承するかたちで成り立ったのです。
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まずは、「血統」と「政治体制」を引き継いだ、ビザンツの正統派ミニ帝国から。
1204年、第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領したとき、 皇族のアレクシオス1世が黒海沿岸の都市トレビゾンドに逃れて独立。 そこにできたのが、トレビゾンド帝国(1204–1461)です。
トレビゾンド帝国は、建前上は「ローマ皇帝の正統な後継者」を名乗り、ビザンツ式の宮廷儀礼や文化も維持していました。そして本家ビザンツよりも8年長く存続し、最終的にメフメト2世によって征服されましたが、その“しぶとさ”と“文化の粘り”は、まさにミニ・ビザンツだったんですね。
もう一つの末裔は、ビザンツが自ら地方に築いた“最後の砦”です。
ビザンツ帝国末期、ギリシャ南部ペロポネソス半島に設けられたのがモレアス専制公国。 皇帝の一族が支配し、首都ミストラではルネサンス的な文化も花開きました。
1453年のコンスタンティノープル滅亡後もしばらく生き延びていたため、“実質的な最後のビザンツ政権”とも言われます。 しかし1460年、ついにオスマン帝国に降伏しました。
そして、「宗教」という形でビザンツの精神を継いだのが、正教会です。
オスマン帝国下でも、コンスタンティノープル総主教は一定の自治を許され、 ビザンツ時代の典礼、教義、イコン文化などをそのまま受け継ぎました。
今日のギリシャ正教会、ロシア正教会、セルビア正教会なども、ルーツをたどるとここにたどり着きます。国は滅びても、「ビザンツ的なるもの」は聖堂・典礼・音楽・祭礼などの中にしっかり息づいていたんです。
さらに面白いのが、北の大国が「ビザンツの後継者」を名乗り始めたという流れです。
モスクワ大公イヴァン3世が、ビザンツ皇帝の姪ソフィア・パレオロギナと結婚。
これをきっかけに、ロシアは「ビザンツの正統を継ぐ国」としての意識を持つようになります。これがロシア帝国が「ツァーリ(皇帝)」を名乗る理由なんですね。
順番に整理すると、
このロジックにより、ロシアは東方正教の守護者としての宗教的使命感を持つようになっていったのです!
こうして見てみると、ビザンツ帝国の末裔たちは、単なる“血筋”だけじゃなく、文化、宗教、理念のかたちで歴史の中に生き続けていたんですね。
このように、帝国は滅びても、その魂はさまざまな形で受け継がれ、「ビザンツ的世界」は何世紀も消えなかったのです。