ビザンツ帝国史における知られざる「女帝」の存在

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)といえば、男性皇帝がずらりと並ぶ印象が強いですが、実はその陰で、ときに“表舞台”に立ち、ときに“影の支配者”として君臨した女帝たちもいたんです。
というのも、東ローマ帝国史には、「イレーネー」「テオドラ」「ゾエ」といった女性たちが、摂政や共同統治者、時に単独皇帝として実質的な統治を行っていた時期が存在します。彼女たちは、制度の隙間や非常時を巧みに乗りこなし、男性に劣らぬ権力を握った存在だったのです。

 

 

単独皇帝となった唯一の女性

男性支配が当たり前だった時代に、前代未聞の即位を果たした女帝がいました。

 

イレーネー(在位:797–802年)

イレーネーは8世紀後半、皇帝レオーン4世の妃として宮廷に入り、夫の死後は息子コンスタンティノス6世の摂政として実権を握ります。
その後、息子と激しく対立し、最終的には彼を廃位・幽閉して単独で帝位に就くという異例の展開に。

 

彼女は「バシリッサ(女皇)」ではなく、男性皇帝と同じバシレウス(皇帝)の称号を名乗り、正式な国家元首として君臨しました。
ただしこれが西欧から「女性がローマ皇帝だなんてありえない!」と反発を招き、カール大帝の戴冠(800年)につながるという国際的な大事件を引き起こすことになります。

 

摂政・共同統治で輝いた女性たち

イレーネーほど大胆ではなくとも、皇帝の母や妻として帝国を事実上導いた女性たちがいました。

 

テオドラ(在位:842–855年)

9世紀の女帝テオドラは、夫テオフィロスの死後、幼い皇帝ミカエル3世の摂政として政治の実権を握ります。
特筆すべきは、彼女が聖像破壊運動を終わらせ、正教会における「聖像崇敬」を復活させた点。宗教政策で大きな方向転換を行った女帝として歴史に名を残しました。

 

ゾエ(在位:1028–1050年)

11世紀には、ゾエ・ポルフィロゲニトスという皇女が3人の夫と共同統治し、時には実質的な女帝として宮廷政治を動かしていました。
彼女はまた、妹テオドラとともに「姉妹統治」という非常に珍しい体制を築いたことでも知られています。
この“姉妹コンビ”は、短いながらも国政を担当し、正式な皇帝として記録されることもある存在でした。

 

“陰の女帝”としての存在感

一部の女性たちは表向きには即位していなくても、宮廷内でとてつもない影響力を持っていました。

 

テオドラ(ユスティニアヌス1世の皇后)

6世紀、ユスティニアヌス1世の妃テオドラは、平民出身ながらも皇后として絶大な政治的影響力を発揮。
彼女はニカの乱の際、逃げ腰になったユスティニアヌスに毅然とした態度で帝都死守を進言したことで有名です。
また、女性の地位向上や弱者救済にも熱心で、法整備にも深く関与したと言われています。

 

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は男性中心の帝国だったかもしれませんが、女帝たちもまた、歴史のターニングポイントにしっかりと姿を現していたんですね。
このように、制度に縛られながらも、その隙間を突いて権力を握った女性たちの存在は、まさに“知られざる帝国の顔”だったのです。