
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、じつに千年以上にわたって多様な貨幣が発行・流通していました。
その中には、ローマ時代から受け継がれた伝統的な金貨もあれば、時代とともに変化していった新しい形式の貨幣もあります。
結論からいえば、東ローマ帝国で流通していた主要な貨幣には、「金貨(ノミスマ/ソリドゥス)」「銀貨(ミリアリセンシオンなど)」「銅貨(フォリス系)」といった階層構造があり、時代によって名称や形態も大きく変化していったのです。
では、主な貨幣を時代ごとに見ていきましょう!
|
|
金貨の代名詞ともいえる通貨。コンスタンティヌス1世(在位:306–337年)の時代に定着し、
純度の高さと安定した重さで、地中海世界の標準通貨になりました。のちにノミスマと呼ばれるようになります。
ノミスマの1/2や1/3の補助金貨。主に大きな取引の端数処理に使われました。
ビザンツで使われた高品質な銀貨。儀礼用や贈答品としても用いられた高級通貨です。
日常的な取引に使われた大型の銅貨で、パッと見は大きいけれど価値は低め。
庶民の市場ではお釣りや物々交換の補助として大活躍してました。
この時代もノミスマ(金貨)は変わらず国際的な信用通貨として機能していました。
ただし銀貨はほぼ発行されなくなり、銅貨との二階建て体制に。
この時代になるとフォリスの価値がどんどん下がり、それを補う形でテトラルテロン(4分の1銅貨)などが発行されます。
都市の中では、小額通貨の細かい単位が重宝されたんです。
このころから、皇帝の権威を表す礼儀用の金貨が登場。貨幣としての流通というよりも、外交や儀式の道具になっていきました。
アレクシオス1世(在位:1081–1118年)の貨幣改革によって登場した、新しい金貨。
ノミスマに代わる通貨として発行され、銀と銅を含む合金となったことで、やや価値は落ちましたが、国際的にはそれなりに信用されていました。
凹形の独特な形状をした貨幣で、宗教的な図像(キリストや聖母)を描いたものが多く、
貨幣としてよりもプロパガンダや権威の象徴としての意味が強まっていきます。
後期になると、銅貨の単位も複数種類に細分化され、地方都市でも使いやすい形式に。
ただしインフレや戦乱の影響で、通貨の価値が不安定になる傾向も強まりました。
後期ビザンツ時代になると、ビザンツ貨幣の信用が落ち、イタリア商人の金貨(とくにドゥカート)が国内でも広く使われるようになります。
アラブ世界との貿易では、ディナール(金貨)やディルハム(銀貨)も使われ、ビザンツ市民が二重通貨制を活用することも珍しくありませんでした。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の貨幣制度は、時代ごとに姿を変えながらも、
常に「帝国の経済と信頼」を支える道具として機能していたんですね。
このように、金貨・銀貨・銅貨を使い分けた高度な通貨体系こそが、ビザンツの商業国家としての底力だったのです。