ビザンツ帝国の「建国者」って誰なの?

ビザンツ帝国の「建国者」は、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(在位306–337)と考えるのが一般的です。
なぜなら、彼が新しい首都「コンスタンティノープル」を建設し、東方に“キリスト教ローマ帝国”の中枢を打ち立てたことで、のちのビザンツ帝国の原型ができあがったからなんです。
この記事では、「ビザンツ帝国の建国者って誰?」という疑問に、時代の流れを追いながら答えていきますね!

 

 

ローマ帝国の中から生まれたビザンツ

ビザンツ帝国って突然生まれた国じゃなくて、「ローマ帝国の東半分」が変化してできたんですよ。

 

330年、コンスタンティノープルの建設

ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、古代ギリシャの都市ビュザンティオンを大改造し、「コンスタンティノープル(コンスタンティヌスの都市)」として新たな首都に定めました。
ここから、東のローマ=後のビザンツ帝国の中心が本格的に動き始めるんです。

 

東西分裂と「東のローマ」

395年、テオドシウス1世の死後にローマ帝国は東西に分裂
西ローマ帝国は476年に滅亡しますが、東ローマ帝国はそのまま“ローマ”を名乗って生き残り、これが後に“ビザンツ帝国”と呼ばれるようになるんですね。

 

じゃあ、最初の「ビザンツ皇帝」は誰?

「建国者」とは別に、「ビザンツ皇帝」としてのスタートを誰にするか?という見方もあります。

 

本格化はユスティニアヌス1世以降

学者によっては、ビザンツ帝国の実質的スタートをユスティニアヌス1世(在位527–565)に求めることもあります。
なぜなら、彼の時代にローマ的伝統+キリスト教的支配+ギリシャ語文化が完全に融合し、まさに“ビザンツらしい帝国”が完成するからです。

 

でも「創始者」はやっぱりコンスタンティヌス

とはいえ、制度・首都・宗教のベースを築いたのはやはりコンスタンティヌス1世。
だから現代の歴史研究では、ビザンツ帝国の創始者=コンスタンティヌス1世とするのが定番なんですね。

 

「ビザンツ帝国の建国者って誰?」という問いに、はっきり答えるなら、それはコンスタンティヌス1世です。
でも、その帝国がビザンツらしさをまとっていくまでには、何世代もの時間がかかっていたのも確か。
このように、ビザンツ帝国の始まりは“ある日突然”じゃなくて、じわじわと形を変えていく中で生まれたものだったんですね。