ビザンツ帝国の農業ってどんな感じだったの?

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の農業は、見た目こそ地味かもしれませんが、じつは帝国を1000年以上も支え続けた基礎体力そのものでした。
都市も軍隊も税制も、ぜ〜んぶ農業がうまく回ってないと成り立たなかったんです。
結論からいえば、東ローマ帝国の農業は、「小農民による自作農経営」「国家と軍事制度に直結する土地制度」「気候・地形に合わせた多様な作物栽培」で構成され、帝国の安定と防衛のカギを握る存在だったのです。では、その中身をじっくり見てみましょう!

 

 

自作農が中心だった

ビザンツの農業の主役は、華やかな貴族じゃなくて、実は田畑で地道に働く農民たち

 

自営農民(パルティキオイ)の存在

多くの農地は小規模な自作農によって耕されていて、彼らは土地の所有者でもあり、税の納入者かつ兵役の担い手でもありました。
国家としても、「土地を持つ農民」が多いほうが安定・収入・防衛の3点セットが機能するから、政策的に優遇してたんですね。

 

地主支配と農奴化の防止

とくに9〜11世紀の間は、大土地所有(ダイモネス)が増えすぎないよう、皇帝が法令で歯止めをかけていました。
「農民が地主に取り込まれて農奴になっちゃうと、税も兵士も減るよ!」っていう危機感があったんです。

 

テマ制と農業の関係

東ローマの農業は、軍事制度ともセットで運用されていたのが特徴です。

 

軍事植民としての農地

テマ制では、兵士に対して農地が支給され、そこで自活しながら戦時には出動するという仕組みでした。
つまり「農業」と「国防」が二刀流で機能してたんです。

 

農業経営=兵役の条件

土地の保有者が税を納められなくなったり、農地を手放すと兵役義務も失効してしまう。
国家としては、農民に土地を持ち続けてもらうことが安全保障にもつながると考えていたんですね。

 

育てていた作物たち

じゃあ具体的に、どんなものが作られていたのか?

 

主食=小麦と大麦

やっぱりパンの文化を支えたのは、小麦と大麦。とくにエジプトやアナトリア(小アジア)は穀倉地帯として超重要。
農民は穀物を自家消費しつつ、税や年貢としても納めていました。

 

オリーブ・ブドウ・野菜

地中海性気候を活かして、オリーブ油ワインの原料となる作物も広く栽培されていました。
その他、豆類、キャベツ、玉ねぎなど、身近な野菜も日常の農業の一部だったんです。

 

羊・ヤギなどの牧畜も

一部の地域では、農耕だけじゃなく半遊牧的な牧畜も併存。毛織物や乳製品を供給する大事なセクターでした。

 

気候や地形と農業の工夫

帝国は広かったぶん、地域ごとに気候や土壌が違う。それにあわせた農業の工夫も見られました。

 

段々畑と水利の工夫

山がちなアナトリアやギリシア地方では、テラス状の畑貯水槽、灌漑設備が工夫されていて、 限られた土地でも収穫量を高める努力がされていたんです。

 

都市近郊農業

コンスタンティノープルやテッサロニキなどの都市周辺では、市場向けの野菜・果物・卵・乳製品を供給する農業が発展。
都市生活と農村がうまくリンクして、食の安定供給が保たれていたんですね。

 

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の農業って、ただの“食糧生産”にとどまらず、国家の経済、軍事、税制、人口構成のすべてを支える根幹だったんですね。
このように、農地と農民をどう守るかは、帝国の存続そのものに直結していたのです。