
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)って、ヨーロッパ中世では珍しく貨幣経済がずーっと続いた国家なんですよ。
西ヨーロッパでは封建制度と物々交換が主流になっていく中、なぜビザンツだけはしっかり金貨・銀貨を使い続けられたのか?
結論からいえば、東ローマ帝国で貨幣経済が存続した理由は、「都市と商業の継続」「中央集権的な税制度」「安定した通貨政策」「国際貿易の活発さ」が複合的に支え合っていたからなんです。では、それぞれを詳しく見ていきましょう。
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やっぱり貨幣が機能するには都市の存在と市場の動きが欠かせません。
首都コンスタンティノープルは、ローマ時代からの巨大商業都市としてずっと機能し続けていました。
ローマのような公共施設、職人のギルド、貿易港、穀物市場が残っていたおかげで、現金を使う生活スタイルが保たれていたんですね。
ビザンツでは地方のテマ制(軍事と行政を兼ねた地方制度)によって、農業と都市の物資と税の流れが維持され、 経済の“現金回し”が止まらなかったんです。
貨幣経済が止まらなかった最大の理由のひとつがこれ。
ビザンツ帝国では税金は基本的に貨幣で納めるのがルールでした。
物納(物で払う)も例外的にありましたが、基本は金で払え。だから人々も貨幣を手に入れるために市場経済を維持せざるをえなかったんですね。
中央官僚や軍人たちにも俸給として貨幣が支給されていたので、国家全体が貨幣で動く仕組みになっていたわけです。
ビザンツ貨幣は、その信頼性の高さでもう“別格”だったんです。
4世紀に始まった金貨ソリドゥス(のちのノミスマ)は、約700年間、ほぼ純金で安定維持されました。
ヨーロッパ・中東・アジアでも通用するほどで、いわば中世のドルみたいな存在だったんです。
時代によって少しずつ通貨改革(銀貨の補強、銅貨の刷新など)も行いながら、 ビザンツ政府は通貨の価値を守る努力をずっと続けていたんですね。
やっぱり貿易が活発な国は、以下のような事情もあって、現金がないと回りません。
ビザンツはシルクロードや地中海貿易、黒海交易のハブ国家でした。
中国の絹、インドの香辛料、アラブの香油、北方の奴隷や毛皮、イタリアのガラス―― あらゆる商品が流通していたから、取引に使える共通通貨が必要だったんです。
ビザンツにはユダヤ人商人、アラブ商人、イタリア商人などが常に出入りしていて、 彼らはみんなビザンツ金貨を信用して受け取っていました。これが貨幣流通をますます加速させたんですね。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で貨幣経済が途絶えなかったのは、
都市が生きていて、国家がしっかり徴税して、通貨が信頼され、国際的にも流通していたからなんです。
このように、現金が動き続ける社会を1000年以上も維持できたのは、まさにビザンツの底力の証だったんですね。