
ビザンツ帝国史には、帝国の運命を左右した大激戦や、逆転劇、涙をのむ敗北など、印象的な戦いがたくさんあります。
この記事では、そんなビザンツ帝国の歴史に名を刻んだ代表的な戦いを、時代順にまとめてご紹介します!
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まずは、帝国が誕生してまもない時期に、東と西で戦った重要な戦いから。
ササン朝ペルシャとの激戦。ビザンツはエジプトを一時喪失する大打撃を受けました。
しかしこの敗北が、のちのヘラクレイオス帝の大反攻への伏線になります。
東方遠征のクライマックス!ヘラクレイオス1世がササン朝に逆襲して大勝利。
帝国の威信を回復したこの戦いは、まさにビザンツの“奇跡の勝利”です。
7世紀以降、ビザンツは急速に拡大するイスラム勢力と長く戦い続けました。
イスラム軍(正統カリフ朝)との決定的敗北。シリアを失い、以後ビザンツは中東の覇権を手放すことになります。
帝国にとっては非常に重い歴史の転機。
ウマイヤ朝が帝都を包囲した大事件。
でもここでビザンツが「ギリシアの火」などを使って撃退!
この勝利で、東ヨーロッパがイスラム化せずに済んだとも言われています。
10〜11世紀、ビザンツは再び攻勢に出ます。華麗な逆転劇が続く時代です。
ニケフォロス2世フォカスがイスラム勢からクレタ島を奪還。
この勝利で地中海の制海権を取り戻し、ビザンツ海軍が復活します。
ブルガリア帝国との長い戦いの末、バシレイオス2世がこれを征服。
彼は「ブルガリア殺し」の異名を持つほど徹底した戦いを展開し、ビザンツの国力を最大に押し上げました。
ビザンツ帝国後期は、大敗や裏切り、外敵の侵入が続く“受難の時代”となります。
セルジューク朝トルコにロマノス4世が捕虜にされるという大敗。
この戦いの敗北でアナトリアの防衛線が崩壊し、トルコ化が進むきっかけになります。
ビザンツが再びセルジューク朝と戦ったものの、再起のチャンスを失う敗北。
この敗北で、帝国の東方拡大の夢は完全に潰えます。
第4回十字軍によってまさかの“味方”に占拠される事件。帝国は三分割され亡命政権が誕生。
ついにオスマン帝国のメフメト2世によって帝都コンスタンティノープルが陥落。ここでビザンツ帝国は正式に滅亡します。
ビザンツ帝国の戦いの歴史は、ただの勝ち負けじゃなくて、信仰、誇り、文化のせめぎ合いが詰まったドラマそのものなんです。
奇跡のような勝利も、胸が痛む敗北も、全部ひっくるめてビザンツという千年帝国の“鼓動”だったんですね。