
「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝って、ずっと血筋で継がれてたの?」と聞かれることがありますが、答えは…半分正解、半分ちょっと違います。
結論からいえば、東ローマ皇帝は血統が重視されつつも、実際には「軍の支持」「官僚・貴族の合意」「宗教的儀式の承認」という複合的な条件を満たすことで選出・即位していたんです。では、その仕組みをもう少し詳しく見てみましょう。
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ビザンツ皇帝になるには、実はいくつかの“チェックポイント”がありました。
もちろん、先代の皇帝の息子や近親者が継ぐのが王道ではありました。
ただし、ビザンツでは“皇帝は神に選ばれた者”という考えが強かったので、必ずしも血縁でなければならないというわけではなかったんですね。
実際には軍隊、とくに首都防衛軍(エクスキュビトル)の支持を得られるかが、即位の決定打になることが多かったです。
多くの皇帝が軍人出身なのもそのためで、「軍に担がれて皇帝に」っていうケースもたびたびありました。
軍だけでなく、宮廷の官僚や元老院の支持も重要。
形式的ではあっても、「帝国の中枢の合意」という形をとることで、皇帝の正当性が補強されたんです。
じゃあ、「支持を得ました!じゃあ皇帝ね!」とはいかないのがビザンツ流。
ちゃんとした“即位の手続き”が必要なんです。
皇帝即位のクライマックスはハギア・ソフィア大聖堂での戴冠式。
正教会の総主教から神の祝福として王冠を授けられることで、初めて“地上の皇帝”として認められたのです。
即位後、皇帝はバシレウス(皇帝)の称号を名乗るようになります。
この称号はただの役職名ではなく、神に選ばれ、帝国と正教世界を導く存在であることを示すものでした。
また、即位時には軍人・市民が集まって「アクロアマ(歓呼)」という形式的な支持表明を行います。
「我らが皇帝、○○万歳!」と唱えることで、帝国全体が新皇帝を受け入れたという“儀式”が完成するんですね。
ビザンツでは、血縁以外から皇帝になった人たちも意外と多いんです。なぜなら…
軍の支持を背景に、現職皇帝を追い落として即位したケースが何度もあります。
たとえばニケフォロス2世フォカスやロマノス4世ディオゲネスなどは軍人出身で、戦功によって皇帝に推されました。
皇帝の娘と結婚し、「皇后の夫」として即位するロマノス1世レカペノスのような例もあります。
この場合、血統の“外”から皇帝になれるルートとして重視されたんです。
正規の継承者が幼いときは、共同皇帝(スンバシレウス)という形で、補佐役の大人が皇帝の地位に就くこともありました。
この制度は「円滑な移行」のための工夫でもありました。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝は、血筋だけじゃなく、軍・政治・宗教のバランスをうまく取った人だけがなれる“知恵と運の王様”だったんですね。
このように、皇帝の地位は神聖でありながらも、しっかりと人間関係と制度に支えられていたのです。