ビザンツ帝国っていつからいつまで続いたの?

ビザンツ帝国は、おおまかに言えば「西ローマ帝国が滅んだ後の東側ローマ帝国」ってことなんですが、正確にいうと330年から1453年まで、なんと約1123年も続いた超・長寿帝国なんです。
この記事では、「ビザンツ帝国っていつ始まって、いつ終わったの?」という素朴な疑問に対して、はじまりと終わりの2つのタイミングに注目して解説していきます!

 

 

ビザンツ帝国の“はじまり”はいつ?

名前のイメージだけでいうと、なんか突然現れた「謎の東方帝国」って感じがしますよね。でも実は、ローマ帝国の続きなんです。

 

330年:コンスタンティノープル建都

ビザンツ帝国のはじまりは、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が旧ギリシャ都市ビュザンティオンを「コンスタンティノープル」と改名し、新しい首都に定めた年です。
この時点ではまだ「ローマ帝国」の一部なんだけど、実質ここから“東のローマ”が動き出したわけですね。

 

395年:ローマ帝国の東西分裂

その後、テオドシウス1世の死によってローマ帝国は東西に分裂
西ローマ帝国は476年に滅びるけど、東側はそのまま生き残って、コンスタンティノープルを中心に帝国として独立していきます。
このあたりから、歴史的には「ビザンツ帝国」って呼ばれるようになるんです。

 

じゃあ、いつ“終わった”の?

終わりの瞬間は、誰が見ても劇的でした。世界史に残る“あの日”です。

 

1453年:コンスタンティノープル陥落

1453年5月29日、オスマン帝国のスルタンメフメト2世が、ついにコンスタンティノープルを攻略
当時のビザンツ皇帝コンスタンティノス11世は戦死し、ここに“千年帝国”は幕を閉じました。
ただし、文化や宗教、制度などはその後のオスマンやロシア、正教会にしっかり残り続けたので、「終わったけど、消えてはいない」って感じなんですよね。

 

亡命政権の存在も

実はこのあと、帝国の復活を目指す人たちもいて、トレビゾンド帝国などの亡命政権がしばらく存続していました。
でも政治的には1453年でビザンツ帝国そのものは終わり、って考えるのが一般的です。

 

ビザンツ帝国は、「古代ローマが生き残って、キリスト教とギリシャ文化が混ざってできた新しい文明」だったんですね。
330年(あるいは395年)から1453年までって聞くと、気が遠くなるような年月。でもそのあいだ、戦争あり、宗教論争あり、復興と衰退をくり返しながら、ずっと帝国として存在してたわけです。
このように、ビザンツ帝国の歴史は、まるごと“ローマの生まれ変わり”だったと言えるかもしれませんね。