
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の全盛期ってどれくらい広かったの?って、気になりますよね。
あのちょっと地味なイメージとは裏腹に、実は「ローマ帝国の再興」とも言えるほどのとんでもない広さを誇っていた時期があったんです。
結論からいえば、ビザンツ帝国の最大領土は6世紀のユスティニアヌス1世の時代で、面積は約350万km²。地中海世界の東半分に加え、北アフリカ・イタリア・イベリア半島南部までも支配下に収めていたんですね。
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まず、「どのタイミングが最大だったのか?」というと、これはユスティニアヌス1世の時代一択です。
ユスティニアヌス1世(482頃–565)は、「失われた西の領土を取り戻す!」という壮大な目標を掲げて、
北アフリカ・イタリア・イベリア半島南部などを次々と再征服していきました。
このときの領域は、ざっくり以下の通りです。
これらの地域を支配下に置いたことで、ビザンツ帝国は地中海の約3/4を囲む「海の帝国」となったのです。
では具体的に、他の国と比べるとどのくらいの広さだったのかというと…
この広さは、現代の国々と比べると以下のような感じです。
当時としては、世界最大級の領域国家だったと言ってもいいでしょう。
ユスティニアヌスの拡張戦争には、戦略と理想が詰まっていました。
533年、将軍ベリサリウスが北アフリカのヴァンダル王国を征服。
この遠征によって、ビザンツ帝国はかつてローマの穀倉地帯だった地域を取り戻すことになります。
535年からおよそ20年かけて、イタリア半島を東ゴート族から奪還。
ついにローマの町も支配下に入り、「ローマ皇帝がローマを治める」という状態が復活したわけです。
554年ごろには、スペイン南部の沿岸地域にも手を伸ばし、 西方への足がかりとして一定の影響力を持つことに成功します。
答えは残念ながらNO。広げたそばから、問題が山積みだったんです。
広大な領土を維持するには軍隊もお金も人材も必要でしたが、 当時のビザンツにはそれを持続できるだけの経済基盤や人口がなく、征服した土地の多くは短期間で失われていきます。
541年以降、帝国内で猛威を振るったのが「ユスティニアヌスの疫病」と呼ばれるペストの大流行。
さらにササン朝ペルシアとの東方戦争も絶えず続き、帝国の体力は急激に消耗していったのです。
こうして見ると、ビザンツ帝国の最大領土はほんの短い“黄金の時代”だったものの、
そのスケールと理想はまさに「ローマの再興」を体現した壮大なプロジェクトだったんですね。
このように、夢のような版図の拡大は、帝国の歴史の中でも特別な光を放っていたのです。