
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で暮らすって、実際どんな感じだったんでしょう?
戦争とか宗教とか堅そうなイメージがあるけど、日常生活にはちゃんと人間くさい営みがあったんです。
結論からいえば、ビザンツの生活は、「都市と農村での暮らしの差」「宗教と暦に左右される日々」「階層によってまったく異なる生活レベル」「教育と家族の役割」などが複雑に絡み合いながら、驚くほど洗練された“中世都市生活”を営んでいたのです。さっそくのぞいてみましょう!
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住んでる場所によって、生活スタイルはけっこう変わってたんです。
帝都コンスタンティノープルやテッサロニキのような大都市では、市場・教会・浴場・学校・病院などが整っていて、 市民たちは仕事、礼拝、買い物を行き来しながら生活していました。
水道や下水設備もあり、場所によっては古代ローマ並みの都市インフラが生きていたんです。
地方では農耕+牧畜が中心で、自分たちで食べる分の作物や家畜を育てて暮らしていました。
市場に行くのも年に数回で、信仰と自然のリズムに従った生活がベースだったんですね。
ビザンツ人の一日は、祈りと断食と祝祭で彩られていました。
ほとんどの市民は、朝起きたら教会や家庭の聖堂で祈りを捧げ、そこから一日をスタート。
食事前・寝る前も祈るのが習慣で、生活のあらゆる場面にキリスト教が溶け込んでいました。
一年のサイクルは教会暦に合わせて組まれていて、断食期や聖人の祝日には特別な料理や行事も。
たとえば「聖ゲオルギオスの日」には村中で祭りが行われる、なんてことも日常的でした。
当時の人たち、何着てた? どこで寝てた? どんな家だった? 気になりますよね?
庶民は麻や羊毛でできたシンプルなチュニックが基本。
でも皇帝や貴族たちは、金糸入りのシルクや紫染めの服を着ていて、見た目からして「身分の証」になっていました。
都市の富裕層は2階建ての石造りの邸宅に住んでいましたが、庶民は土壁・木材の簡素な住まい。
農村部では家畜と同じ屋根の下に暮らすこともあったんです。
パン、オリーブ、塩漬け魚、野菜、チーズが基本の食事。
断食の時期には肉・乳製品を避けたビーガン風メニューも豊富でした(詳しくは▶「ビザンツの食事」記事へ!)
家族は生活の最小単位。教育も、まずは家庭からでした。
都市部では、男の子たちは読み書きと宗教教育を学ぶのが当たり前。
上級家庭では哲学や修辞学まで教わり、公務員や聖職者を目指すこともありました。
ただし女性は基本的に家庭内の役割に限られていて、読み書きできるのは貴族か修道女に限られることが多かったです。
とはいえ、歴史上にはアンナ・コムネナのような知識人女性もいました!
結婚は家と家との結びつきとして行われ、若いうちに婚約することも多かったです。
子どもは“家族の労働力”であり、神からの祝福とされていました。
ビザンツ帝国には、堅苦しいだけじゃなく、ちゃんと遊びや癒しもあったんです。
ビザンツでは古代ローマから続く浴場文化があり、都市には病院(クセノドケイオン)も設置されていました。
修道院が運営するところも多く、福祉制度がけっこう整っていたんですね。
大人気だったのはヒッポドロームでの戦車競走!
あとは市場での買い物や、祭りでの音楽や踊りも庶民の楽しみでした。教会の聖歌合唱も、日々の娯楽と信仰の融合体です。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の生活は、豪華な宮廷や堅い神学だけじゃなく、祈りと笑いが交差する人間らしさにあふれた日常が広がっていたんですね。
このように、都市と農村、祈りと食事、家族と国家――それぞれが絶妙なバランスでつながって、帝国という暮らしが続いていたのです。