
ビザンツ帝国を理解するうえで、最低限押さえておきたいのが「主要な王朝」と「キーパーソンとなる皇帝たち」です。
1000年以上続いたこの帝国、もちろん皇帝はたくさんいたけど、時代を動かした“主役級”を押さえるだけで、歴史の流れがぐっと見えてきますよ!
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ビザンツの“ゼロ地点”を作ったのがこの王朝。
東西を統一し、キリスト教を公認し、新首都コンスタンティノープルを築いた人物。
実質的に「ビザンツ帝国の父」といえる存在です。
父の遺志を継ぎ、帝国の東半分を統治。キリスト教内部の教義論争(アリウス派問題)にも深く関与しました。
ビザンツの“黄金時代”を築いた王朝です。
ローマ法大全の編纂、アヤソフィアの建設、地中海制覇を成し遂げた大帝。
「ローマ帝国再興」を掲げた最後の本気のローマ皇帝といってもいいかも。
ユスティニアヌスの後継者だけど、ちょっと頼りなくて帝国の混乱が始まるきっかけに…。
イスラム勢力の猛攻をしのぎ、帝国を守った“防衛の王朝”。
ウマイヤ朝の包囲をギリシャの火で撃退!帝国を救った救世主。
ただし彼がイコノクラスム(聖像破壊)を始めたことで、宗教面では物議を呼ぶ人物でもあります。
軍事に強く、聖像禁止政策を徹底したため、教会勢力とはバチバチに。
でもそのおかげで帝国の防衛は盤石になりました。
文化・経済・軍事の“三拍子揃った”復興時代の王朝。
庶民出身からの大出世で王位に就いた“成り上がり皇帝”。
安定した統治と王朝の基礎づくりに尽力しました。
著述家でもあった皇帝で、ビザンツ文化と外交の知識を本にまとめた“文化系皇帝”。
外交マニュアル『帝国統治論』などは今でも重要史料です。
「ブルガリア殺し」の異名を持ち、帝国の軍事力と領土を最大に押し上げた人物。
内政も軍事も強い、ビザンツ最強皇帝の呼び声も高いです。
衰退した帝国を“テクニック”で建て直した実務派王朝。
内乱と外敵でボロボロだった帝国を再生。
第1回十字軍をうまく手玉に取りつつ、帝国の領土を少し回復させました。
西欧スタイルを取り入れた“オープン志向”の皇帝。
でもそのせいで財政が悪化し、内政がゆるくなっていくんですね…。
“最後の王朝”として、帝国の灯を守り続けた一族。
コンスタンティノープル奪還を果たし、帝国を復活させた人物。
でも西欧との宗教交渉に迷走した面もあります。
ビザンツ最後の皇帝。オスマン帝国のメフメト2世による帝都攻略時に剣を持って最前線で戦死したとされる、悲劇の英雄。
彼の死をもって、ビザンツ=東ローマはついに終焉を迎えました。
ビザンツ帝国の歴史を動かした皇帝たちは、ただの“玉座の人”じゃなくて、戦って、改革して、ときに信仰で迷って…そんな等身大の人間たちでした。
このように、王朝と皇帝の顔ぶれを知ることで、ビザンツという帝国が“生きた歴史”として見えてくるんですね。